これからの時代のパーソナルなモノの在り方について考える[16日目]

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この記事はShiftallのプロジェクトに関わるメンバーが日替わりでブログを更新していくアドベントカレンダー企画の16日目です。その他の記事はこちらのリンクからご覧下さい。

アドベントカレンダー2018
https://blog.shiftall.net/ja/archives/tag/adventcalendar2018/

こんにちは。パナソニックでデザインの仕事をしている内田と申します。
パナソニックでは様々な家電の開発の後に、先日のブログに掲載されたWEAR SPACEの開発を進めるFUTURE LIFE FACTORYの立上げや、今春開催されたミラノサローネのインスタレーションに関わってきましたが、現在はShiftallが開発に協力しているHomeXプロジェクトのデザイン全体に関わらせて頂いています。
今回、ゲストとしてブログを書いていますが、Shiftallのメンバーとは今回のお仕事以前から個人的な接点も多く、これも何かのご縁だと感じています。

今回は仕事とは関係なくあくまで一個人の視点や意見として、敢えて今「モノのデザイン」について考えていることを、自分自身の暮らしや所有するモノを写真で交えながら書いてみたいと思います。
私が影響を受けたデザイナーの一人が「その人が使うもので生活環境の捉え方が理解できる」と語っており、それを一デザイナーとして実験的に実践することも兼ねています。

モノからコト等の言葉と共に、消費者のモノの所有離れやシェア化・サービス化などが話題になることが多い昨今ですが、元々私がデザイナーを志したきっかけは、小中高校生時代を通して工作やガジェットが好きだったこと、つまりモノとの密接な関わりを起点とします(中学時代に触れた自作PCやDTMを通して、創るという事に目覚めました)。
そんなバックグラウンドを持つ中で、敢えてモノのデザインから距離を置く形で、先述のプロジェクトを通して、オブジェクトを介さない体験のデザインや、サービスやプロジェクトそのものの設計に関わってきました。色々と迷いや試行錯誤を繰り返す中で、改めて自分自身がモノが好きな事に気づけたと同時に、これからの時代に改めてモノがどのような意味を持ち、デザインされるのかについても思考するようになりました。

パーソナルとコモンの線引き
家事をはじめとする様々な暮らしのイベントが家電をはじめとした個人が所有されるモノと密接な関係を持っているこれまでの生活の一部が、徐々にサービスやシェアに取って代わることについては、パーソナル(個人)とコモン(共有)の線引きが変化していることと捉えられると思います。コモン(共有)で置き換え可能なイベントが増えると、一方でパーソナルの定義領域はより濃縮され、かつてよりも強いコントラストをもって意味づけされるのではないかと考えています。
今回はそのパーソナルの定義に繋がりそうなキーワードを、身の回りのモノから仮説として抽出してみたいと思います。
これからモノを作る意義や、モノのデザインが持つ意味を議論する上で何らかの参考になればと幸いです。

創造と遊び
人類は道具を作ることで進化の道を辿ってきたと言われていますが、道具は人間の創造性や遊びといった性質とも太古から密接な関係を持っています。これから先、技術がどれだけ進化しても、創造力を働かせ、遊び心をもって何かを生み出すという事は人間らしさとしてあり続け、新しい何かを生み出すための道具はこれからも「モノ」として人間との間に介在し続けるのではないでしょうか。

近年様々な技術の進化で「クリエイターの民主化」が進みましたが、それらクリエイターが価値や仕事を生み出すための道具は、モノとして存在し続けるとともに、従来プロフェッショナルな位置づけだったものがより一般消費者に近い文脈に動くと考えています。
具体的な分野を挙げると、既に楽器の世界ではそのような動きが顕著に表れています。私自身も素人ながら打ち込みで作る音楽制作に関わってきましたが、ここ数年で、より多くの人に開かれた性質の電子楽器が増えてきました。このような製品は職業クリエイターのみならず、何かを作ってみたいと思う人を増やすことにも貢献していると思います。

スウェーデンの明和電機こと電子楽器メーカーTEENAGE ENGINEERINGの超小型シンセサイザーOP-1。おもちゃのようなサイズ感やカラー、割り切ったパッケージである一方、アルミダイキャストで作らた重厚感のある筐体や緻密なUI表現など、触るほどに視覚や触覚に発見や揺さぶりを与え、使ってみたい、何か作ってみたいという気持ちを喚起するような設計が随所に感じ取れます。実は私もShiftallに縁のあるメンバーと一緒に電子楽器を作るプロジェクトにも関わっています。

日常生活の中でほとんどの人が触れる家電や道具に関しても、その行為が人間の趣味性に左右されたり、創造性を発揮したりするものについては、その人の趣味性を表すパーソナルなモノとして残り続けるのではないかと思います。
例えば調理という行為に関しては、その人にとって週末料理など趣味的な性質を持つものであれば、パーソナルな側面が強調され、調理のためのモノに関しても創造性を発揮する道具という意味合いが強くなると考えます。

私自身はライフステージの変化に伴い、自宅で調理する機会が増え、効率化だけでなく創意工夫の対象となったことで、道具の種類が増えてきました。


自然への回帰

テクノロジーの日常生活への普及や、様々な事象のコモン化が進むにつれて、人間はパーソナルの中に自然的な揺らぎや安らぎをより強く求める傾向になってきていると思います。
私はそれ自体に機能的な意味合いを持たないインテリア小物やオブジェが何故か好きなのですが、それらは存在自体が空間に何らかの文脈や意味づけを行う事が一つの役割だと思っています。特に木をはじめとする自然素材を用いたり、動植物をモチーフにしたものを選ぶ傾向にあるのですが、そういったものを生活空間に取り込む動機には、パーソナルな空間に何らかの自然への回帰するような意味づけや欲求があるのではないかと自身を考察しています。
昨年、台湾に行った際に木製のモビールを入手したのですが、素材から揺らぎのあるその振舞いに至るまで、自然的な要素をパーソナルな空間に取り入れる役割を果たしているといえるのではないでしょうか。

その土地ごとのモノづくりやライフスタイルに触れるために、海外を訪れて時間があると出来る限りローカルの雑貨やクラフトを取り扱うお店に立ち寄るようにしているのですが、これは昨年週末を利用してサービス・UXデザインのワークショップで台湾に滞在した際購入した木製の鳥のモビール。eguchi toysという、台北で幼稚園を経営する日本人が立ち上げた木のおもちゃ制作会社が手掛けたもので、色合いやモチーフを簡素しつつも美しい線に惹かれました。対象年齢が0~99歳という表記がユニークですが、子どもから大人まで受け入れられるような簡素さと優しさと美しさが共存していると思います。
植物を育てるという行為も、効率化、合理化とは全く相反する行為ですが、それでも尚多くの人が愛好するのは、自然をパーソナルな空間に取り込むと同時に、意図しない育ち方も含めた創意工夫性を発揮する対象だからではないでしょうか。パーソナルな空間やモノのデザインを考える上でも、こういった人知を超えた予想できない不規則性や揺らぎといったものを取り込むと、新しい可能性が生まれるしれません。

上に挙げた「創造と遊び」「自然への回帰」は私がこのブログを書く上で自分自身の生活から切り取った事例に過ぎませんので、まだまだ様々な要素が考察の対象になると思います。引き続き、自分自身の生活と社会の変化を深く考察することで、新しい価値の発見や製品開発の可能性に繋げて行ければと思います。

皆さんも、今一度自分自身の生活や、所有するモノを見つめ直すことから、これからの暮らしに必要な製品や生活環境の在り方について考察してみるのはいかがでしょうか?